一行院について

400年を超える歴史ある格式、浄土宗「一行院」

江戸幕府が開かれてまだ間もない慶長の末(西暦1600年代初頭)。譜代大名であった永井直勝は、現在の信濃町にあたる場所に下屋敷を拝領していました。ちなみに信濃町という地名は、ここに屋敷を有していた永井家宗家が代々「信濃守(しなののかみ)」を称していたことに由来します。当初は信濃殿町、信濃原と呼ばれ、それがやがて信濃町になりました。
永井直勝
直勝は僧侶になった家臣(来誉故念(らいよこねん))のため、その屋敷の一部に一行院を建立します。これが現在の永固山一行院千日寺(えいこざんいちじょういんせんにちじ)のはじまりとなりました。直勝の没後、その菩提を弔うために千日を単位とする万日回向の常念仏が行われるようになり、その事から千日寺と名付けられ、いつしかその周辺は千日谷と呼ばれるようになりました。
以来およそ400年の間、鉄道の敷設や首都高速道路の建設で敷地の約半分を失ったものの、震災や戦火にも耐え、現在に至ります。